紀貫之はネカマ?
twitter上に、一日に数十件あまり、「紀貫之はネカマ」といふ旨のpostあり。土佐日記の冒頭文の、このフレーズぞ原因なる。男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
この文によりて、こを書きしもの、紀貫之は己が女と思ひて書きけり、すなはち、紀貫之はいまめかしく言はば、「ネカマ」なるべし、といふことなり。しかれども、こはまことにや?
これより書かむとすることは、まさに「ネタにマジレス」の極みにて、いと心なきことならむ。しかれども、こをご覧ずる心ある御方は、ただ「ネカマ」と申して思考を停止せで、心なき我ともろともに、いささか考慮せむ。
紀貫之の人物背景
紀貫之には妻ありて、かつ子もあれば、紀貫之はゲイにはあらず。こは、大前提とて心得たまへ。両刀使いの可能性こそ残れ、男色や衆道も、平安後期よりなのめとなりぬれば、平安前期の貫之などはせざりけむ、といふことが通説なめり。されば、両刀にもあらざらむ、といふことなり。かつて我がtwitter上にて紹介せしこちらの歌をご覧ぜよ。
男色TL…。厳密に男色にはあらねど 凡河内躬恒「君に逢はで 一日二日に なりぬれば 今朝彦星の 心地こそすれ」 紀貫之「逢ひ見ずて 一日も君に ならはねば たなばたよりも 我ぞまされる」 (訳)躬恒「我は彦星///」 貫之「我は織姫より強くぞ汝を思へる///」
— 紀貫之@平成中期 (@kt_yukirin) 4月 8, 2012
紀貫之は己を"織姫"になずさへり。かくのごとく、紀貫之は「女子力」や「女性性」(かくのごとき言葉ありや?)が高し、とぞいはれける。この和歌は、躬恒たんの"フリ"あれば、さりがたき面もあれど…。紀貫之の幼少期の話をせむ。幼少期、彼は内教坊といふところにてかしづかれけり。内教坊とは、
内教坊(ないきょうぼう)は日本古代の律令制における令外官である。(中略)その職掌は舞踊・音楽の教習である。内教坊では主に女性に対して教習していた。
(Wikipediaより。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%95%99%E5%9D%8A閲覧日:2012年8月8日)彼は幼少期女性に囲まれつつ、「内教坊の阿古久曾(あこくそ)」とて時めきけり。阿古久曾は、幼名なり。「くそ」は、愛称なれば、いまめかしく申さば「内教坊のあこちゃん」といふ響きなるべし。らうたし。仮名文学など、女性的なる文化にめでたきは、幼少期のかうやうの体験あればなるべし、といはれけり。
このことより「げに!紀貫之はオカマなるべし!」と思さむ御方もあらむ。いささか短絡的ならむ、とも思へど、このことには、はかばかしく否定せむ根拠を知らず。(我は、全国のショタコンの御方が、このエピソードをプラスに昇華せなむと思ひ侍り…)
紀貫之の仮名文を好める所以はこれのみにはあらず。紀貫之は、さしも真名が得意ならざりけり。
紀貫之は文章生にならむとて、わかき折に大学にて学びけり。しかれども、文章生の道はいみじき狭き門なれば、くちをしくも、えならざりけり。ならましかば、さながらエスカレートのごとく出世街道をのぼらましきものを。さればこそ、真名文にいささか苦手意識のごときものを持ちけめ、古今和歌集真名序は紀叔望に依頼し、土佐日記は仮名文にて書きけり。
最後に仮名文のことをば、いささか物語せむ。土佐日記の説明や、紫式部日記中の清少納言disの説明をなさむとする折に、しばしば「男は漢字、女はひらがな」といふもの多し。しかれども、過ちあり。女性が漢字、真名文を書き散らさむは、げにはしたなきことなれど、男性がひらがな、仮名文を書かむは、さしもあやしきことにはあらず。女性と和歌の贈答をせむとする男性は、真名文を使用せず。女性はえ読まねばなり。(厳密にえ読まずといふことにはあらねど…)男性は折によりて真名文と仮名文を両方書きけり。個人的には、「男は漢字、女はひらがな」にはあらで、「漢字はフォーマル、ひらがなはプライベート、女性は政治に口出しなせそ」といふことのみならむ、と思ひ侍り。
ネカマとは
知の神殿Wikipediaに曰はく、ネカマとは、姿が見えず素性がわからないネットワーク社会の匿名性を利用して、男性が女性を装うこと及び装っている人、またその行為。「ネットおかま」が略語化されて出来た言葉で、インターネット以前のパソコン通信時代から用いられている。法学者の白田秀彰によれば、インターネットの黎明期から男性が女性を装う事例は存在しており、(当時は女性の利用者が極端に少なかったこともあって)女性であると自称しているものがいればまずネカマであるか疑うのが常識であったという。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AB%E3%83%9E 「ネカマ」Wikipedia 閲覧日:8月5日 強調は筆者による)土佐日記は紙に書きしものなれば、ネットに書きしものとは異なれり。ネカマといふべきにあらざらむ、といふ意見もあり。こは、いみじく重箱の隅をつつくがごとき指摘なり。すなはち、重要なる共通点とて、
- 相手の素性を心得ぬ空間
- 己が性別を偽れる
- 性別より自由を得る
仮託創作説
簡潔に結論より申さば、「己が女性のふりをする」と、「己の書きし文を女性が書きし文とする」は別物なり、といふ説なり。専門家にはあらねば、国文学会のことはいさしらねど、おそらく現在、国文学会の主流なる考えぞ、この「仮託創作説」なるべき。知の神殿Wikipediaにも、貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、女性の日記に仮託して仮名文で綴った作品
と、「仮託」の二文字あり。Wikipediaのみにはあらで、あまたの書やウェブサイトには必ず「仮託」の文字あるべし。入門書などにはさにあらぬこともあれど。「仮託」とは、広辞苑第4版に曰はく、「かこつけること。ことよせること。」とあり。「かこつけること」とはすなはち「理由付けすること」、「ことよせること」とはすなはち「他のことに託してことをなすこと」とあり。
ポイントは、「女性に仮託」にはあらで、「女性の日記に仮託」と書かれたることなり。すなはち、「己が性別を偽ること」にはあらで、「別人物が書きしことと偽る」ことなり。すなはち、「我が旅に同行せし女性ならば、かくのごとき日記を書かまし」といふものこそ、土佐日記なれ。
しかれども、個人的なる意見を申せば、ポイントは「仮託」のみにはあらで、「創作」の部分なり。土佐日記は、日記といふタイトルなりこそすれ、虚構や創作のまじれる、といふことなり。
仮託創作の根拠とて、以下の点あり。
- 「船君」が、和歌はつたなく、偏屈なる老人として登場す。紀貫之が自身を仮託するものは、この船君なり。
かかるあひだに、船君の病者、もとよりこちごちしき人にて、かうやうのこと、さらに知らざりけり。かかれども、淡路専女の歌にめでて、都誇りにもやあらむ、からくして、あやしき歌ひねりいだせり。(二月七日の記事より)
- それの年の…と、帰京の年を明らかにせで表現す。こを、土佐日記が創作なり、といふことの根拠とする説あり。
- 船に乗りし者がいみじく多く、当時の技術によりてはかく多くの者はえ運ばじ、といはるる。
それの年の、しはすのはつかあまりひとひのひの戌の刻に門出す。(十二月二十一日の記事より)
紀貫之はネカマ、すなはち、仮託創作=ネカマとなすならば、すべての小説家、漫画家、脚本家はネカマ、もしくはネナベといふこととならむ。
さしもあらざらむ。
アンチ・仮託創作説
しかれども、この仮託創作説にもアンチテーゼあり。簡潔に結論より申さば、「冒頭文は、ただ『日記を仮名文にて書く』といふ宣言なり」といふ説なり。ネカマ説や、女性の日記に仮託す、といふことへの根拠は、冒頭文よりほかになくて侍り。まして、侍女の日記に仮託す、といふ説は、「解由状のことを知りて」「女性」→「侍女よりほかにあらじ」といふことのみなり。こをご覧ずる御方も、女性の日記に仮託して物を書かむとする折には、より多くのエッセンスを込めまし。しからば、などか紀貫之はさなるエッセンスを文中にこめざりけるや?冒頭文の解釈を我々の過てばなるべし。
これより、小松英雄先生といふ御方が説をかひつまみつつ紹介し奉らむ。いささか無理のある説なれば、信ずるか否かは貴殿にまかせむ。これにては飽かず、より詳しきことをばゆかしと思す御方は、小松英雄(2006)『古典再入門 「土左日記」を入りぐちにして』笠間書院を参照せなむ。この本は、帯に「紀貫之は女性のふりなどしていません」とあり。
土佐日記の冒頭文には、数点あやしき点あり。
- 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」ひとつの文に同じき動詞が3か所にあり。かやうの冗長なる文、下手なる文をなどか紀貫之は書きぬ?
- 日記をするとは何ぞ?「する」は代動詞なれば、日記を「書く」はさらなり、日記を「読む」「売る」「買ふ」「捨つる」「焼く」など、可能性多し。はかばかしく「男の書くなる日記といふものを…」となどか書かぬ。
- 「男もすなる日記といふものを…」と、はじめより「も」と書きけれど、「も」の用法とて、よきものにはあらず。国文学会にても、「『の』の誤記か」とされけり。しかれども、冒頭文は技巧を凝らしつつ書くものなれば、4文字目に誤記などするものかは。
古今和歌集などには、「複線構造」といふものあり。「やまとうたは、ひとの心を種として」ここまで読みし折には「人の心」とのみ読むべきものを、「よろづの言の葉とぞなれりける」、まで読まば「あな、げに。『ひと』は『よろづ』との対応関係にありて、『ひと』は、『人』と『一』の掛詞なるべし。」と、思ひなす、といふものなり。この複線構造は、土佐日記の冒頭文にもあるやも、とて、テクストを読まば…
かつては「おむなもして」の部分を、「おむなも して」とのみ読みけれど、「おむなもし て」と読まば、いかに?「女文字で」と、読むことの可ならむ。(※当時は濁点の区別なければ、「し」と「じ」、「て」と「で」は同じ文字なり)女文字といふ言葉の存在証明はこれにえ書かず。ゆかしと思す御方は上にあげし本をご覧ぜよ。
さすれば、「3連続す」の謎、「4文字目のも」の謎も、たちどころに解決す。「おとこも すなる」といふ文も、「おとこもす なる」と読みて、「男文字なる」、となるべし。(※いささか苦しき言説なれど、「す」と「し」は音的に近し、といふことなり。我は個人的にさすがにあながちならむ、と思へど…)
以上より、土佐日記冒頭文は、現代語にて書かば「漢字である日記を仮名文で見てみようと思ってするのである」となるなり。(結果最後の「す」は解決せねど…。)
まとめ
以上3つの説を紹介し奉りき。こを読みたまふ上にて、いづれの説を信じたまふかは読者の御方に委ね奉らむ。いづれの説にもとりどりに長短あれば、(いとをかし、といふことはいみじき長所なり)我とてこれぞめでたきと推すを得ず。ただ知りたまはなむと思ひしことは、かかるはかなき一文に対してさへ研究者たちは英知を尽くしてけり、といふことなり。参考文献
Wikipedia 内教坊 ネカマ村瀬敏夫(1987)『日本の作家 宮廷歌人 紀貫之』新典社
小松英雄(2006)『古典再入門 「土左日記」を入りぐちにして』笠間書院
@kt_yukirin
紀貫之@平成中期